
グネさんは今回のスリランカでのガイドさんで、ニイナの事をニイナさんと呼び私の事をまりこさんと呼んでいた。
別れ際30分足らずになり・・・・どさくさに紛れ「まりちゃん・・・」と呼び始めたグネさん。
この一週間、ほとんどの時間をグネさんとニイナと私三人で過ごした。
空港に着き慌しい空気の中私とニイナは大きな荷物を乗せたカートを押し空港の奥に急いだ、振り返ると豆粒くらいの大きさのグネさんが窓の外で手を振っていた。
一週間一緒に過ごしても別れはこんなにも簡単にあっけない物なのだな。
言いたい事は沢山あったように思うけど、アレ以上何も言う事は無かったようにも思う。
本当に今回のスリランカの旅行が素晴らしい物になったのはグネさんのおかげでした。
スリランカ最終日・・・


しばらくそのまま薄暗い部屋を眺めまぶたを開けたり閉めたりしていたら海の泡の原因が段々はっきりしはじめた、それは窓の向こう側の雨音。
予想外に空気を湿らせたその雨はいつから降っていたのだろう、ちょうど生暖かい気温に夕方の湿気が海岸沿いにある海の家だった。
ボヤボヤとおき出し風呂に入り髪を洗い乾かし・・・・車に乗った。
珍しくラジオを聴いているとローカルの中ではメジャー・・・?みたいなバンドの曲が流れ始め少し聞いていたのだけど耐え切れなくなりバックホーンのCDに変えた。
しばらく車を運転しているとまだ明るいせいか普段目に止まらない古い家々が気になった、妙な所に唐突にある物だから・・・・絶対に狙っては出来ない天然の凄みと柔らかさを帯びている。
建物ってただ古ければ良いわけではなくて、私の好きな古い建物はその建物にどういう人達がどんな風に集まったらステキかが一瞬にして目に浮かぶ・・・・そんな建物。
でもそれは大体がかなり非現実的な映像で・・・・「アジアの地方の家族」だったり「海の屋台を営む若夫婦&その友達沢山・・・・」だったりで「この場所にそれはありえないだろー!?」と思われる物ばかり。
でもそういう事が本当は一番大切で、たとえアジアの地方の家族がその場所に居なくてもその面影はしっかりと伝わる。
無理をしてそれを絵にしてしっまったりすると変に作り物みたくなる時があるので、あくまでも面影のままが良い。
日が暮れるとソテツの木が雨に濡れ外灯に照らされテカテカに光っていた、バックの空は少し明るいマーブルグレーで・・・・空の色もソテツの光も空気の湿っぽさも・・・夏の偏屈さと命の粘り強さを称えていて・・・・「ドキ」っとした。
モノトーン



家カフェ


お店がオープンしている時はどうやったって仕事モードになっているし、綺麗な動線をたどり動くためにはなるべく余計な事に気をとられないのが良い・・・。
騒がしい気持ちでいると一瞬の素材の変化を見逃してしまう事がある、素材はこちらが静かな気持ちで見守っていれば向こうから色々な事をちゃんと発してくる。
私には昔一人の友達がいて、その子はお父さんと中学生の妹と三人暮らしだったお母さんはその子が小学生の頃に亡くなったらしい。
仕事が忙しく家にあまり帰って来れないお父さんは冷蔵庫に沢山の食材を買い置きしていて・・・いつの間にか私はその家に行くたびにご飯を作って帰るようになっていた。
ある夏・・・・・久しぶりにその家に行くと金髪でクルクルパーマの女の子が居間のソファーに座っていた、よくよくその女の子を見るとそれは数ヶ月前に高校生になったばかりの妹だった。
「その頭可愛いけど・・・・・それで学校行けるの??」と私は言い・・・・「学校やめた、美容師になるから」と妹は答えた、ありがちな話と言えばそうなのだけど・・・・・なんせ数ヶ月前までの面影が全然なくびっくりした。
中学の頃の妹はおとなしくまじめな子だった、無理して自分を押さえてそうしていたのかもしれない。
お世話紛いの事をしていた私だって十代だったし、そんな頻繁に友達の家にご飯を作りに行けるわけもなく・・・・・ただそれからは行く回数を増やし・・妹が家出をすればそのたびに連絡をしてむかえに行ったり(お父さんが連絡をしても電話にでなかったので)一緒に就職先を探したりしていた。
その頃その家で一番うけたメニューはキャベツ入り焼きソバとホットケーキのバナナサンドだった。
結局なんとなくその友達とも疎遠になり・・・・風のうわさで妹は水商売しながら実家の家事もこなし楽しく暮らしていると聞いた。
落着いて自分のペースをつかんだのかもしれない、良かった。
あの頃・・・ちょうど小学生〜中学生にかけて、誰もゆっくり話しをしてくれる人が居なかった妹は自分で道を探し決め進むまでに人よりも少しだけ時間がかかっただけのように思う。
いつか妹の事をしっかりと見ていてくれる男の人に出会うと思う、そうなれば良いと思う。
無口なアリニタ


スージーと並んで紅茶を飲みながら朝のティータイムを楽しむ。
昼過ぎに夏子がランチに来たが・・・・ちょうどランチ終了してしまったところで、どうやらワカコさんの展示会があっている事を知らない様子だったので教えると「え??ほんとーじゃあカレーは明日来るは・・・」と言い見に行った、白い器の並んだギャラリーは清々しく心地が良い。
そういえば今朝パパとスージーがお店に来た時にワカコさんの器で紅茶を出してあげたら凄く気に入って二客買って行った、紅茶の好きな人にはあの薄い口当たりがたまらない。
今カリーとマフィンで一休み、お腹いっぱいで眠くなってきた・・・・明日の教室の準備をして今日はさっさと帰ろう。
毎年夏は新しい


久々に会うスージーは相変わらず元気、パパはちょっと痩せていたけど以前よりも良く話すようになっていて楽しかった。
今日は昼過ぎにスージーがお店に来た、エステに行って来たらしく顔も雰囲気もピカピカだった。
その後お店が混み始めたので急遽スージーに手伝ってもらう事になり・・・・・お客様に紅茶をお出ししてもらったり洗い物をしてもらったり・・本当に助かった。
紅茶屋さん暦7年のスージーは初めて来たうちの店でも堂々とそしてテキパキと仕事をしていて見ていて清々しかった、お客様ともお話したりしていて「凄いな〜」とキッチンから感心して見ていた、私なんていまだに初めてのお客様と話す時は挙動不審になってしまうのに・・・・・・。
紅茶を通して沢山の人と出会わせてもらい、自分の世界の良くも悪くも冷狭さを痛感する日々。
そしてやっぱり優しさが大切、人と関わるのが苦手なのになんでこんな仕事をしているのか・・・・ストレスがたまったりする時もあって悩んでいた時期もあったけど、心がけひとつで越えられない壁はないのかもしれない。
そいうい事を教えてくれいつも助けてくれる旦那や友達に本当に感謝している。
新しい世界を見よう。
春の冷たい風が新しい世界を運んで来た、私はただそれに気が付くためにここから出て行きたいと思う。


だいたいの男の人は家族のために社会に出てお仕事をしていて、それって私にはわからない色々な事があるのだと思う。
家に帰った時くらいはりラックスして過ごしたいだろうし・・・・・勿論私もそうしたいと思っている・・・・それなのに時々何かのバランスが壊れるとそれが出来なくなる。
反省。
女の人の多くは家が仕事場みたいなもので、暮らしそのものが自分の生き方のようになる。
なので力を抜くいたり入れたりするのが結構難しいと思う、女の人が「どうでもいいや〜」と思うとどんどん家の中がどうでも良い感じになるし、かと言って頑張り過ぎても・・・・常に仕事場にいるのと同じなので皆疲れてしまう。
きっと男の人は仕事場では気を張って仕事をしているぶん家に帰ったらその自分を脱ぐのだろう・・・・女の人はいつ仕事場の自分を脱いで・・・・いつ着れば良いのかが難しい。
極端に言うと・・・・家庭や家族が女の人にとっての人生をかけた作品みたくなってしまう事もありうるのかもしれない。
私はそういう風な考えかたとは無縁の人間だと思っていたけど、結婚して数ヶ月・・・・・結構家の中の事とかが気になる性格なのが判明しつつある。
気にならな過ぎるのも問題だけど気になり過ぎるのもコレマタ問題だ、こんなにも自分が家庭的な女(ちょっと違う?)だとは知らなかったので正直びっくりしているし、段々母に似てきている自分も恐いと思う(母は家庭的な女でそれを貫き通しているから良いけど私は全然違うのにそこだけ似てしまってつじつまが合わない感じ)・・・これがDNAか??
でも結婚して本当に良かったと思う、一人の時には出来なかった事が出来るようになってくるしこんなにも人の不思議に遭遇する事は結婚以外にはないように思う。
大切な事に本当の意味で気がつかないと結婚生活とは続けられないのかもしれない、だから日々失敗しながらも「人にとって大切な事」と模索するようになって来ている、自分を曲げるのではなく自分を掘り下げて行って・・・・その奥深くにある・・・まだ気がついていない眠ったままの光を両手ですくい上げ心の中心に納めるような・・・。
それは多くの意味で私にプラスになっている気がする。
人を思いやる事、それは簡単なようで難しい事なのかもしれない。
大切に生きよう。
知らない自分


私はその話を聞いた時去年スリランカで出会った小さな男の子の事を思い出した。
茶畑からの帰りに出合ったので多分茶園で働く人の子供だと思う、年は10歳くらいで・・・・数人の友達と道端で遊んでいた、スリランカ人のガイドさんは私に・・・・「あの子達は学校をサボって遊んでいるので何かちょうだいと言われても無視してください、人から物を貰って生きるのではなく自分で勉強してえらくなって働く事をおぼえてもらいたいから・・・・・」と言った。
「確かになるほど〜多分その話を聞かなかったら私はすぐにお金や物をあげているところだった・・・・」と思い「無視だ」と心に誓った。
案の定日本人の私を見つけた子供達は「何かもらえる!!」という期待感でキラキラ輝いた瞳でこちらにやって来て私の乗っているバスの窓の前で大きな岩に登り「キャンディー?チョコレーッツ?ペンシル?」と言って手を伸ばすのだった・・・・ひたすら見ないようにがんばっていたのだけど・・・・・バスがエンジンをかけ出発する寸前・・・・残念な事に一人の男の子と目が合ってしまった。
小さな黒い手が砂ぼこりにまみれカサカサとしたグレー色に見えた・・・・その指先は私の座席の窓をしっかりと持って白い歯ばかりが目立つ大きな口をあけ必死に「キャンディー!チョコレート!」と叫ぶので・・・・私は一瞬ひるんでしまいその子の瞳を見たのだった。
学校をサボリ物乞いするのは良くない事だとはわかっていても・・・今のご時世日本ではこんなにも必死にバスにしがみつきキャンディーをくれと叫び続けるガッツ(?)のある子供はいるだろうか?彼は本当にキャンディーが欲しくてたまらなくて・・・・きっとその味は日本人観光客によっておぼえたに違いない・・・そんな気がした。
学校よりもキャンディー・・・・・・一見浅はかに思えるけど、やっぱりお腹がすいていては勉強どころではないと思う・・・。
私はとっさに「何かないか?」と思いカバンの中をゴソゴソあさると・・・・・朝食に食べ残して固くなった丸いパンがひとつ出てきた・・・・、「こんなに固くなったパンを人にあげるのは失礼かな?」と思いながらも窓からちらりと出すと子供達は物凄い勢いでパンを奪い合い・・・・あっと言う間にその固い丸パンは私の前から姿を消したのだった・・・・。
この時私は何を思っていたかと言うと多分朝食のバイキングを思い出していたと思う、「あのパンも持ってくれば良かった・・・・ケースに入ったヨーグルトも持ってくれば良かった・・・・山積みのバナナも一房持ってくれば・・・・」とか考えていた・・・・ような気がする、そんな事をしても根本的な解決にはならないのはわかっているけどやっぱり人間でも動物でも命ある物がお腹をすかせているのはかわいそうだと単純に思う。
きっと食べ物を沢山捨てる場所(レストランとか・・・・・)もこの世界には沢山あるだろうに、お腹が空いて悲しい思いをしている人も沢山いる、ちょうど良く均等にどうしてならないのだろう???
ある所からない所にあげるのは一時的には良いけど、もっとづーっつ良いのはない所は「どうやったら自分達の所に食べ物が来るか」を考えて、ある所の人は「どうっやったら自分達の所に食べ物が来るか」を教えてあげれば良いと思う。
もしも願いが叶うなら



イタリアンベイビー


「超美味しく出来たんで!!!!!ご飯がすすむ!!!!!!!!今らかご飯食べん??」
「え・・・今から・・・・・・明日の朝に食べるよ・・・・・」
「ん・・・・・・・・・・・・・・・」
食べたかったけど夜の夜中に大根葉でご飯をモリモリ食べるほど胃も強くないし・・・・と思いそのまま又ウトウトとしていると・・・しばらくして今度は「クスクス・・・」と笑い声が聞こえ・・・再度目が覚めた、寝ぼけた頭と半開きの目であたりを見渡してみてもただ暗闇で・・・・・・私はてっきりニイナが本かDVDを見て笑っているのだと思っていたので・・・・電気がついていない状況が一瞬把握出来ずに・・・・「????」と思い笑い声の出ている場所にはって行くと・・・それは隣のニイナのベットの上からだった。
「何だ??電気も付けていないから本を読んでいるわけでもないし・・・・起き上がっているから寝言でもなさそうだし・・」と思い・・・「何笑いよん??」と言いうと・・・・・どうやら私が寝言で「丸いやつならもっと可愛いのがあるよ」と普通の声で話していたみたい、その前後にも淡々と寝ているとは思えない口調で話していた・・・・らしい。
私は昔から寝言を凄く言う子供で、周囲の大人もびっくりしていた・・・・・・頭が悪いから口がまめらないのだけど(口がまめらない人が皆そうではなくて私が・・・・)本当は言いたい事とか話したい事とかが沢山あるのかもしれない。
今日は電気屋さんにアルカリイオン水の浄水器を見に行った、種類も値段もまちまちで・・・何が良いのかわからなくなり一旦カフェに来てネットで紅茶とアルカリイオン水の関係を調べていたら以前お世話になった紅茶研究家の方を思い出しメールをしてみた、返事がすぐに来て・・・・どうやらその方も去年アルカリイオン水と紅茶について研究(その先生はお仕事で研究されたけど・・・・私は単なる趣味で知りたいだけ)されたらしく、色々と教えて頂いた・・・・結果やっぱり紅茶も美味しくなるみたいなので後で浄水器買いに行く予定。
スリランカの紅茶はクセがないからアレンジティーにしてフルーツなどとあわせるのも美味しいけど、素の味の美味しさをもっともっと引き出すのもこれからの楽しみのひとつ。
だって葉っぱのエキスが紅茶なのだもの・・・・それを見逃すわけにはいかない。
関係ないけど、さっきお兄ちゃんがカフェに来て話ていたら・・・・知らない猫が庭で遊んでいるのを見て「タミ(実家の婆さん猫)も昔はああやったんかな〜もう最近はダメ、ヨタヨタしよん」と言っていた、庭の知らない猫はまだ若いみたいで毛並みもプリプリしていた。
その後デコちゃんと三人でウナギを食べに行った、もうすぐわかちゃんが幼稚園から帰ってくる時間らしい。
ウナギ


昨晩はベットにもぐり夢の入り口に片足を突っ込みながら閉じたまぶたの裏側の暗い世界を見ていた、タミ(実家の婆さん猫)の事を思い出しながら・・・・・。
タミはもともとクロ猫なのだが年をとるにつれ段々毛の内側が白くなり・・・・いつの間にかグレー猫になってしまった、顔は小さく愛想はないけど触るとポンヤリ温かい・・・・タミは何もしないで寝ているだけで私は幸せな気持ちになる。
その事がふと不思議に思った、例えば仲の良い友達や恋人がいて・・・どんなに好きでもいつも何もしないで私の家で寝ていたらその様子を見て私は「幸せ〜〜」と思わないと思う・・・・(100セントではないけど)。
タミは自分のご飯も買いに行く事も出来ないし・・・食べた後の片付けも出来ない・・・・・もちろんアルバイトだって出来ない・・でも生きてくれているだけで幸せだ。
何故・・・・・?
しいてひとつだけタミの可愛い所をあげると、タミは極度の人見知りで知らない人が家に入ってくると目をまん丸に見開いて耳をぺターっと頭にくっつけ全身の毛を逆立てて凄い形相で逃げ惑う。
そんなタミだが私には腹を出して寝ている姿を見せる、まるで私など居てもい居なくても一緒のように・・・・。
タミが日本語を知らないのが幸いなのか・・・・私が猫の言葉を知らないのが幸いなのか、言葉が無いけど通じてしまう物・・・・それが私にとってはかけがえの無い物なのかもしれない。
昔・・・・多分20歳前後の頃書いた絵で今でも覚えているのが「言葉を話せない女の子」の絵、話せないのか話さないのかは解らないけどその子はお菓子を作るのが好きでいつもお菓子を作っている、はじめは皆その子の事をバカにしていたのだけど・・・その子の作ったお菓子を食べるたびに段々心が変化していくのだ。
泣きはじめる人、幸せを感じる人、不思議な気持ちになる人・・・・・。
その子のお菓子を町中の人達が好きになった頃・・・その子は遠くの町に行ってしまう、新しいお菓子を作りたくてか・・・・新しい町の人達に食べて欲しくてかは解らないけど。
これってシンプルに生きている極端な例のお話かもしれないし勿論自分自身とは全然リンクしないけど、何となく気持ちは解る。
私は言葉が大好きで音楽をしていた頃も歌詞にしかあんまり興味がもてなかった、歌詞のしょぼい歌はいくら演奏が良くても聴けなかったし。
言葉は伝わってなんぼなのかもしれない、だから私は伝えたい事が明確でない時言葉が口から出てこないのかな??
良くも悪くも適当に話せない、大いに短所でもある・・・・・要領が悪くなったり・・・・受け答えがスムーズでなかったり・・・・。
最近はそれで良いと思う。
気の向くままに・・・・


薄っすら肌寒いが真冬のように芯からの冷えは無いので随分過ごしやすい。
今月の紅茶教室はアイスティーなのだが、ちょっとまだ寒いかな〜と今日思ったりもした・・・・お店に来るお客様のほとんどがホットを飲まれるので。
ここ数日はネットにがじりつきスリランカの治安ばかりを気にしてしまっている、現地の友達からは「ん〜皆普通に暮らしているよ」とスリランカらしくステキに暢気なメールが来る。
夕方・・・・カフェで掃除をしていると山のカラスが鳴き、この光景がスリランカのバンダラウェラの夕暮れと同じ空気でたまらなくなってしまう。
裏山の畑で夕食用の野菜を収穫するお兄さん・・・・学校帰りのバスの中の子供達・・・・・、茶園は勿論だけどそれ以上になにげない日常の香りが胸にグーっとくる。
皆そこで暮らしている、町の市場に行くと見た事もないような豆達や野菜達・・・・・「これどうやって食べるんだ??」と不思議そうに眺めている私を尻目に現地のママ達は大量の豆やスパイス・・・米などを買って人ゴミの中に消えて行く・・・・きっとあの豆達はあのママの手によってホカホカのカリーになって今日の夜食卓に登場するのだろうな〜・・・・。
スリランカ=内戦というイメージを持っている人も多いみたいだけど、それは北部のほんの一部の人達で・・・大半の人達はつつましく家族のために生活をしている人が多い。
高校生の間では携帯が流行っていて、バスの中で男の子が携帯で撮った写真を彼女に見せ二人で笑いあったり・・・・、海にデートに行ったり・・・本当に普通に暮らしている。
私の友達のスリランカ人には仏教の子とキリスト教の子がいるけど、皆ふざけて冗談も言うし美味しい物も大好きだし・・・・そして凄く優しい。
相手と自分の心の違いを尊重するので少しづつ肌合いを見ながら必要以上に入り込まないし、でも一度仲良くなったらとことん付き合う・・・そんな感じ。
自分の意見はしっかり持っていてちゃんと言うけど相手対する言い方や言うタイミングなどにはちゃんと心配りをする、そして何より誠実だと思う。
私はスリランカに出合って色々な事を教えてもらったし精神的に凄く救われる所が多い。
日本人の人の中でもきっと「何となく生きにくさ」を感じている人は多いと思う、偶然私はスリランカに出合ってそれが何なのかが少しづつ見え始めたけど(流行の早さや人間関係の薄さ・・などなど)・・・人それぞれ違う原因なのかもしれない、でも自分が苦手としている事が見えればそれを排除していけば良いので生きる事が楽になる。
私は日本が一番好きだし「最後に食べたい物は?」と聞かれたらスリランカカリーと紅茶ではなく「白いおにぎりと味噌汁」と答えるだろうけど、スリランカが私に与えてくれた物は一生の宝物には違いない。
皆が自分よりも相手の事を先に考えるようになったら平和になるのかな?
空の向こう


すっかり半袖で過ごせる・・・・。
今日からお店の奥のギャラリーでワカコさんの展示会、私もさっきミルクピッチャーをとり置きしました。
これからの季節はさらに白い器は使い勝手が良い。
昨夜の夕食は教室の残りのスリランカ風春巻きとお父さんが釣ってきたアジの塩焼き・・・・冷麦に筍と豆腐の味噌汁・・・・、冷蔵庫の残り物や貰い物などの整理整頓をかねて・・・なのでメニューはバラバラでも美味しかった。
「春巻きにじゃが芋美味しいやん」
「そうやろーこれ今月の教室でしたにー美味しいよなー」
「この前俺が春巻きにじゃが芋入れたら?っち言った時まりこすぐに却下したくせにー」
「へーそうやったかな??だってこれはカトレット(スリランカの食べ物)の中身を入れちょんけん美味しいけど・・・じゃが芋その物を入れてもどうかな?っち思うやん??入れ方やわー」
「ふーん」。
その後ニイナはアジを食べながら・・・・「アジはフライが美味しい」と言っていた・・・・。
そんな事知っていたけど・・・・昨夜は帰ったのも遅かったし下処理をして塩焼きにするので精一杯だった、でも心でそう思っただけで口には出さなかった・・・・・返事は「別に良いんで、ただフライが美味しいだけやけん」だろうから。
今度はフライにしてあげよう。
食後ニイナが買って来ていたプリングルスを一枚食べたら・・・わざとらしく「それ俺のやけん食べんで」(ちょっと昨夜は不機嫌だったのもある)と言ったので5cmくらいの束にしていっきにバリバリと口の中に押し込んで食べて見せたら・・・・ちょっと笑いたいのをこらえた感じで眉間にシワをよせ・・「ボロボロこぼさんよ」と言った。
ぼんやりしていると自分がいる事まで忘れてしまいそう



紅茶教室



紅茶教室

















